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Javaプログラマ? ぬるぽの刑

HR/HMプログレ好きでJavaプラグラマな人がいろいろ書くのと、日々の業務でぬるぽ地獄に遭ってゲンナリするブログ('A`)

小脳梗塞の記録:退院後の経過

201602休養中 日記

もうちょっとだけ続くんじゃ

2月月初に退院し、その後は自宅で主夫していたわけだけれども、病気の経過についてもまとめていきたいと思う。

2/18 (木)

入院先を紹介してくれた脳神経科へ一番最初に撮ったMRIのフィルムを返却しに行った。 もう午後の診察終了間際だったが、ちょうど紹介状を書いてくださった脳血管の先生がいるので会わないかとすすめられたので、こちらの先生にも経過報告をした。 先生も入院先から連絡があったとのことで、まずは元気な姿を見せることが出来た。 思い返すとふらつきながら重い頭を抱えて行ったのが最後だったので見違えるくらいの健康体。 先生からも早期発見して、大事にならなくてよかったとお言葉をいただいた。 なお診察料はしっかり取られた。

2/26 (金) AM

退院後の初の外来ということで、まずはMRI検査、その結果から医師の診断。 ちなみに外来担当は入院中に若い若い言っていた上司先生。 検査結果は良好。 血流はまだ少ないながらも、血管の狭窄した部分で器質化というものが起こりつつあるらしい。 器質化というのは血栓が取り除かれるということ。 いずれすべて吸収され、そこにあたらしく血管がはられるらしい。

人間の体ってスゴイ。

ただし油断は禁物。 良い兆候があっただけで再発の危険性はまだあるとのこと。 引き続き職場復帰しつつも、安静な日々を送りたい。 次は4月診察の予定。

小脳梗塞の記録:入院中のこと (3)

201602休養中 日記


2/1 (月)

退院の見込みが立ったことから、栄養士の面談があった。 どんなもの食べてるか、何時ぐらいに食べてるかヒアリングされたけど、いつのまにか「毎日カップ麺食べている高血圧の人」みたいな扱いになってた。ショックすぎる…週一あるかないかくらいなんだけど。

で、退院後どんなものを食べたらよいか、味付けをどうするか、など家庭家の授業のようなことを1時間くらい行った。

夜に職場の上司が見えて、見舞いに1冊本をいただいた。 冗談だからと言っていたけど、後日自宅で読んでみると、なかなか面白く一日で読破した。 得るものはあったと思う。 本に影響受けて、朝はコップいっぱいの水を飲むことにした。

退院は節分の2/3とした。

2/2 (火)

まさかの職場の上司の上司がお見舞い。 本部長が来るのはめったに無いことで、緊張してバクンバクン言ってた。 お見舞い待ってる間の血圧は上下ともに普段より20以上うえをさしていた。

退院してしばらく主夫するという話をして、20分ほどで終了。

次の日はいよいよ退院。 身の回りの整理をしつつ就寝。

2/3 (水)

退院当日。 9時過ぎには実家に持って帰ってもらうもの、自宅へ持ち帰るものをすべて分けて迎えの親を待った。 11時前には病院を出た。 あれだけしんどい思いして入院してきた道を、元気な足取りでまっすぐ歩いて帰る。 生きている実感があった。

昼すぎ、さっそく減塩料理を作るべくスーパーに行き、夕方頼んでおいた血圧計と体重計と朝食用玄米フレークが届く。

親に「まともに生活できないだろうから実家へ戻ってこい」と言われたけど、断固拒否した。 何かあった際に病院へ行くのが遅くなってしまうのが第一の理由だけど、本音は違う。 いつまでも甘えていたくない、今までできなかった家事は実家を出てどんどん出られるようになったから、もっとできるようになりたい。そんな気分から。

そしてここから2/29(月)までの1ヶ月専業主夫生活が始まったのだった。

小脳梗塞の記録:入院中のこと (2)

201602休養中 日記




1/28 (木)

この日も点滴。リハビリ。
ちなみにお風呂に入れないため、代わりに蒸しタオル3枚を渡されて体を拭いて汚れを落とす。
でも渡されてすぐに体を拭くのは危険。むちゃくちゃ熱い。
数分ほどさましてゆっくり拭く。

夜に仕事帰りの彼女が見舞いに来た。
2週間前にJ:COM解約してその後のプロバイダを決めていなかったため、その打ち合わせを兼ねて。
よさ気な代理店を昼間に探しておいたのでそれの説明と受付を目の前で行った。

あと、通っていた整体にしばらく行けなくなった旨を連絡した。
いつもお願いしていた先生はやや焦ったような声。
首は怖いから出来ないけれど、下半身を中心とした施術なら続けたいとも話した。

1/29 (金)


朝からMRIを撮り昼ごろにMRIの結果を見ながら主治医から詳しい病状を伺った。
病名は「右小脳梗塞」「右椎骨動脈解離」

前者は後者の症状によって発生した症状になる。
椎骨動脈解離については下記サイトが詳しいので説明を省略する。
www.saiseikai.or.jp


ここで「発生後11日間内は出血のリスクあり」「狭窄が発生した箇所は脳内ではないため、くも膜下出血へ悪化することは考えられない」とのことだった。
この時点で発症後1周間。
紹介元で撮ったMRIと比較して脳梗塞が進展していないことと、血管の状態も維持されていることから峠は越えたそう。
あとは安静にしつつ社会復帰に向けてリハビリをこなせば翌週退院できる状態だった。
誕生日が近かったのでもしかして誕生日はおうちでできるかもと思い、気持ちが落ち着いた。


この日病室変更が行われ、ナースステーションから遠い部屋にお引越しした。
重篤・緊急な患者ほどナースステーションの目の前に配置される。
土日に運ばれてくる患者の受け入れ体制はこうやって作られるらしい。

1/30 (土)

入院中の初めての土日。
この日点滴が抜け、院内歩行許可が出た。
1Fのコンビニへもいけるようになった。

母方のおじと祖父母がお見舞いに来てくれた。
なんだか病弱な孫で申し訳なく思った。
お返しは沢山してあげたい。


入院中はたくさん水分を取るようにとの事だったので、とにかく水と麦茶を飲みまくった。
貧乏性なので、500mlペットの中でも550mlや600mlの増量ボトルをよく買った。


そしてとうとうこの日から入力許可も出た。
時間は30分だったが、意外と時間が足りない。
口ひげがすごいことになってたので風呂で剃った。
ジョリ!っていい音した。たまらん。

1/31 (日)

土日は基本リハビリがなく、することがない。
お出かけ鞄の中にはモバイルルーターが入っていたため、それでネットをしまくった。
結果、転送量オーバーとなり200kbpsの速度制限がかかってしまった。
最近のWebページはコンテンツ量がバカでかく、200kbpsでは使いものにならないのですぐプラン変更した。
翌月月初適用のため、しばし我慢。

小脳梗塞の記録:入院中のこと (1)

201602休養中 日記



1/26 (火)

朝起きたらちゃんと体が動いた。それだけで嬉しかった。

この日は終日ボーッとしていたような気がする。
朝食が出てきて、食欲はないながらも、果物以外一通り食す。
初めて食べる病院食だったが、そんなまずくないじゃん!いけるやん!
一回ちゃんと食べたからか、昼食、夕食はぺろりと食べた。
食欲が戻ってきた。

この日、キーボードはポジションが狂ってしまってまともに打てないながらもディスプレイを見る分にはなんの問題もないことがわかったため、カバンに入っていたFireタブレットで読書をした。
読みかけだった吉川英治三国志
横山光輝のマンガは読んでいたものの、その原作本である。
マンガでは省かれたエピソードや人物が多数いるものの、メインキャラクターは名前を見れば横山キャラの顔が浮かんでくる。楽しい。

1/27 (水)

主治医の上司が見に来た。
この病棟では僕の存在はかなり異質である。
全く無いわけではないが、20代で脳卒中(脳梗塞脳出血の総称)を起こす人は少ないからだ。
自分の周りはみなおじいちゃんおばあちゃん。
その中にぽつり孫がいるような感じ。
だから反応としては「若いのにどうしたのかね」と「症状そんな軽いの?そんな治りが速いの?若いね〜」という2通りが返ってくる。
上司の方は結局退院まで後者の感想しか言わなかったw

この日からリハビリが始まった。
運動療法士と作業療法士の二人の先生がついた。
リハビリは20-30分で終わるが、運動、作業の2科目性といったところでやる内容が違う。
前者は基本行動のリハビリで、各部位のストレッチやバランスをとるための運動や歩行訓練を行う。
後者は指先の細かな行動のリハビリで、僕の場合は職場でPCを使い、家で炊事をするため、タイピングとりんごの皮むきをで訓練した。

ここ2日ろくにベッドから起き上がらなかったので起きた時は新鮮みがあった。
とは言えど点滴を打ちながらのため、点滴を釣ったキャスター付きである。
この時点では字を書くのはだいぶ回復していたが、椅子に長時間座っていると揺れてしまって気持ち悪くなるし、まだまっすぐ歩くことはできなかった。
でも確実に日々症状が軽くなってきているのを感じる。

夜は、日曜に会った彼女のお母さんに心配かけた旨電話を入れた。

この日くらいからだいぶ落ち着いて眠れるようになったと思う。

小脳梗塞の記録:入院初日

201602休養中 日記



はじめに

3/1より時短勤務をした後、来週から通常時間帯で本格復帰となりました。
入院したのが1/25夜だから、もう1ヶ月経ってんだなー。

1/25(月) 夕方 救急処置室

検査着に着替えてベッドに寝るとすぐさま心拍、脈拍計測用の器具と点滴用の管を複数の看護師が取り付け、個人情報についてその場で問答と相乗についてのヒアリングが行われた。
その後主治医の先生がみえて、症状の具体的な確認を行った。

 左足のすね部分に右足の踵をこすりつける動作(左も同様)。
 腕を伸ばした状態から左右の人差し指で鼻の頭を交互に触る動作。
 などなど。

これらは梗塞によるダメージがどの程度運動面に影響出ているかを見るものらしい。
僕の場合は小脳なのでこういった平衡感覚に関するテストをしたようだ。
先生「CTを見ると深刻に見えるが思ったほど症状は出ていないので、安静にしていればすぐ良くなりますよ」とのこと。

依然ふらつきやめまいがするが、その言葉を聞けて安心した。

そのベッドのまま、入院する病棟まで運ばれた。
しばらくして親が入院セットを持ってきてくれ、彼女も来てくれた。
見た目は健常で、先生に言われたことをそのまま伝えたら安心してくれた。
朝家を出てからずっと一人だったので、こちらも気持ちが落ち着いた。

その日は夕飯は無しで寝るだけだったのだが、どうも寝付きが良くない。
まだ天井が揺らめいているし、体の半分だけがベッドに沈んでいるような感覚に襲われるし、寝返りも今のところは危険というのでなるべく体を倒さないよう仰向け状態を維持しなければならなかった。

消灯時間は21時。
2時3時の就寝が常態化していたのと、病院で寝るのは初めてだったため、なかなか寝られない。
あんまりにも寝られないので上司にメールを送った。
キーボードはまだ位置がずれてうまく打てないながらも、一通数十分かけて計3通を送った。
脳梗塞で入院することになったことと、今仕掛中だった仕事がどのくらいあるかってことと、治して必ず復帰すること。


メールを送り終えて一息入れたところで怖くて泣いた。
安静にしていれば治るかもしないけど、悪化した場合は復帰どころじゃなくなるかもしれない。
明日の朝起きたら、今日よりもっと体が動かなくなるかもしれない。
そんなことばかり考えてしまう。

そのまま寝てしまったらしく、後のことはよく覚えていない。

小脳梗塞の記録:入院先へ向かうまでのこと

日記 201602休養中



前回のエントリに書き忘れたが、話を入れるとすごく長くなっちゃうので少し巻き戻った話をする。

入院先までの道中

まず彼女に電話した。全然出ない。
親へ電話した。何回かけても出ない。
仕方がないので駅まで歩いて駅で電話しようと思ったところに親から返信が来た。
脳梗塞で入院することになったと伝えたらすごく焦り、そして涙声だった。
ひとまず入院先を教え、入院用の手荷物を持ってきてもらう様お願いした。
※変な話うちの家族は入院慣れしており、入院に必要な物はだいたいわかっており、すぐに荷物をまとめることができる。

次に彼女から返信が来る。
この時駅の中の階段を降りていたが、ふらふらで斜めに降りそうになる。
我慢して手すり伝いに歩いた。

繰り返し「まだ大事には至ってないから、入院して安静にしてれば治るから、元気になって帰るから大丈夫」という内容しか言えなかった気がする。
わんわん泣かれた。
状態が悪いと手術になるし後遺症が残るし、最悪死ぬからなのはわかっていた。
まさか双方の実家へ行った次の日に入院なんて、本当に死亡フラグ立ててしまったんだなって軽く思いながら、気持ち悪いのを抑えながらなんとか受け入れ先の病院に到着した。

時間は17時近くで受付は消灯されて暗くなっていたもののまだ窓口に人がいたので、きょう入院するぬるぽですと伝え、紹介状を渡した。
初めてなので診察券を作らされたのだが、初診の連絡先記入はすごく苦労した。
前エントリの通り、右手が上手く動かないので頭で考えていても字がバランスよくかけない。
一画目を書いたはいいが、二画目の開始位置がすごく左よりになってしまい、字がすべて右から圧縮されたような感じになってしまった。
「こんなの書かせるなよ…」とか思いつつもなんとか書き終わったので提出し、救急処置室へ行くよう案内された。

この時点ですっかり「絶対安静」という言葉を忘れてて、やっぱり一人で歩いて処置室へ向かった。
一言、歩けないと言っておけばストレッチャーで運んでくれたかもしれないのだが…w

小脳梗塞の記録:病名が判明した時のこと

日記 201602休養中



1/25(月) AM

朝起きてもなんだか天井がゆらゆらするので、去年かかった脳神経外科の頭痛外来に行くことにした。
9時半頃に先生に診てもらい、「耳・鼻からくるめまいじゃないかな?ぬるぽ君は蓄膿症持ち(※去年の頭痛外来の診察で判明。まだ治らず)だし。一応CTとってみようか」とのことでCT検査を受けた。

数十分後、すぐ先生に呼び出されて「ぬるぽ君、なにかやった?小脳の下側が黒くてもやもやしたのが写ってる。去年のCTにはなかったのに。」と去年のものと比較して見せてくれた。

「すぐMRI検査受けて詳しく調べたほうがいい」とのことで先生がすぐMRIの受けられる別の病院へ紹介状を書き、13時半頃に予約を入れてくれた。

不安でたまらず、診察終了後にいの一番に彼女へ電話をかけた。
なんともなければ午後からお出かけしようと言っていたけどダメになったことのお詫びと状況を説明した。
こっちも焦ってて「大丈夫だから」しか言えなかった。

13時半まで3時間、先生はお昼でも食べて検査まで時間を潰しなさいと言われたけど食欲がなかったので、ずっとヨドバシカメラのベンチに座ってググってた。

ひとまず「CTで写る黒い影」はガンではないことがわかったが「脳血栓」や「脳梗塞」って出てくる。
これが白いと血液であり、脳出血を起こしているらしい。
この時点で脳梗塞の疑いが出てきたけれど、こんな症状軽いのか?治るのか?この年で脳梗塞になるのか?って疑問がどんどん浮かんでくる。

1/25(月) PM

結局待ちきれず、予約時間より1時間前に病院の待合室で順番を待った。
14時前くらいに人生初めてのMRI検査を受けた。
この時指輪を外し忘れ、磁力でジリジリ指が入ってて辛かったw
※指輪してて何も問題なかったのは、頭部のみの検査だったためと思われ。ホントはダメです。

検査が20分、その後結果待ちまで20分。そして問診。
「小脳が脳梗塞を起こしている。絶対安静にしてください」と強めに言われた。
思い当たることがあるか、予兆はあったか聞かれて「うーん」と首をひねると「危ないからダメ!」って静止された。うっかりしてた。

結果を紹介元の脳外に持ってくことになってるのだけれど、歩く振動も危ないからタクシーを手配した。
で、タクシーに乗ったはいいけれど、結構運転が粗めで揺れた。これなら徒歩と変わらなかった。

紹介元に戻り、血管に詳しい先生が言うに「ぬるぽ君の椎骨動脈が剥離を起こしてしまってて、その先の小脳に血液が充分行き渡っていないため、脳梗塞を起こしている。安静にしていないとこのまま血管が裂けてしまうリスクがある。入院した方がいい」とのこと。
その場で簡単なテストを受けたら、右手右足の平衡感覚が左より悪い。
そして自分の名前も右手でうまくかけない。

今ならまだ脳出血は起こさないとのことだったので、入院することにした。
で、先生がさっそく入院先の病院へ受け入れの電話を入れ、紹介状を書いてくれた。
ただ、この時特に何も言われなかったので、入院先の病院まで徒歩+電車で行ってしまった。

すごく呼吸が荒く、体がしんどかったがなんとか受け入れ先の病院の救急処置室まで行き、「本日入院するぬるぽです」と挨拶したら、看護師さんびっくりしてすっ飛んできて「早く服脱いでベッドに仰向けになってください」って言われた。
まさかここまで歩いてくるとは思ってなかったのだろうね。

小脳梗塞の記録:病院へ行く前のこと (3)

日記 201602休養中



1/23(土)

同棲中の彼女に説明して、一日寝こむこととしたが、翌日は彼女の親に会うので午後からお土産を買いに新宿伊勢丹へ行った。
ややふらついていたけどなんとか外出できた。
おいしそうなチョコを買って(うちへのおみやげも一緒に)、1時間ちょっとの外出終了。
ちなみに一日通して食欲なかったが、何かしら食ったほうがいいだろうと思い、コンビニでたぬきうどんを買って帰ってたべた。

1/24(日)

相変わらずふらつく。
なにかおかしいから翌日の休暇は病院に行きなさいって彼女に言われた。
せっかく二人揃って有休とって遊びに行こうと言っていたのに、大変申し訳無い。

午後からお土産を持って彼女の実家へ行き、一緒にお食事した。
ここでも食欲はなかったがなんとか食べた。


夕方にうちの実家へ行き、ここで夕飯を食べた。
やはり食欲はないし、椅子に長く座っていると気持ち悪くなってくるが、我慢した。


22時半くらいにうちの親に駅まで送ってもらった。
駅ついたら人身事故で電車が動いていなかった。

再開したのは23時すぎだったが、24時過ぎになんとか帰れた。

小脳梗塞の記録:病院へ行く前のこと (2)

日記 201602休養中



はじめに

事細かに状況を書いたら、長文&難解になってしまった。
いつもの癖です。

1/22(金)PM

ふらつきながらも自席に戻る。
当然ながら食欲が無い。
保守端末コーナーより自席のあたりのほうが涼しいはずなのに、汗が止まらない。
ひとまずお茶を飲んだ。たぶん250mlくらい。
今度は席に座っててもぐるぐる目がまわり上半身をうつ伏せにしないと気持ち悪い。
4,5分したらうつ伏せでも気持ち悪い。もう横になるしかない。
でももう歩くほどの元気がなかったし、めまいでまっすぐ歩けないのでお昼を食べ終わった新人に声をかけて肩を貸してもらうことにした。
目指しは1F下の仮眠室。
でも途中でひどい吐き気がしたため、トイレへ行って欲しいと新人へお願いして進路変更。
なんとか個室へ入って体制を整えると、すぐゲロった。
間髪入れずに第2波第3波。
この日は何も食べていなかったので水分(お茶)と胃液しか出ない。
これで楽になると思ったけど、全然そんなことなかったので、待っててもらった新人に仮眠室へ行くようお願いした(ちなみに新人は仮眠室の場所を知らなかったので教えてあげることにした)。

仮眠室へ着く。
普段は天井見て寝るのだけれど、天井見てると波打ってるように見えたので気持ち悪くて無理だった。
右半身を下にして寝るとやや楽だったのでその体制で横になった。

それからしばらく考え事をした。
緊張とかストレスで腹をこわすことはあったけど、朝から調子悪かったけど今日こそやってやるぞという意識はあった。
でも肝心の体が悲鳴をあげてこのザマだ。
こんなことじゃこの仕事やっていけないんじゃないか。
将来、もっと仕事の幅を広げていけるエンジニアになりたいと思っていたのにまともに仕事ができない。
トラブルに直面して倒れた自分が情けなく思って泣いた。

少し落ち着いたので、情けないながらも少しでも貢献したいと考えなおして午後一に運用管理者へ電話した(すぐ電話できるよう、社内のPHSを持っていた)。
運用管理者には以上の事情でその場へ行けないけれど、午後からやる予定だった作業について電話口で手順の共有をした。

あと新人経由で上長にも休んでいることを伝えてもらった。

このまま2時間ほど横になる。
間に最近見積もりした別案件の再見積を頼まれたが、今日は忙しいから来週にして欲しいとお願いした。

結局1時間ちょっとは眠ったのか、気づけば15時半くらい。
ちょっと体を起こしてみたらめまいやふらつきは軽くなっていたのでそのまま保守端末へ向かった。

まだ対応中とのことで2時間ちょいの間の作業内容を共有して引き継いだ。
この時点でサービス復旧出来ていたが、今後の予防のために自動起動設定や復旧順序の総ざらいをすることになった。
ここでWEBサービス立ち上げのメモが出てきたため、今出来ておらず、するべき設定、メモの正当性の確認等を行って、17時前に一旦引き上げ、20時すぎに起動実施となった。

自席に戻って事情を上長に説明し、いつの間にか増えていた仕事について、後輩を連れて打ち合わせしに行った。

この辺りはだいぶ回復しており、20時過ぎの起動実施も大丈夫だろうと思うくらいだった。
定時後によくお話するSEさんが事情を知ったのか、チョコバーを差し入れしてくれた。
食欲はないが疲れていたのでありがたくいただいた。
そして20時過ぎ、起動実施と手順確認も終わり、休みだったSEに報告メールを出して22時半頃に仕事を終え、まっすぐ帰宅した。

ちなみに25(月)は休暇申請していたので、これで家でゆっくり休めば治るだろうと思っていた。
実際はもっと大変なことになっていたのだけれど。

小脳梗塞の記録:病院へ行く前のこと (1)

日記 201602休養中



はじめに

時系列ごとに詳細に書いていきます。
随時更新するかもしれません。

1/22(金)AM

普通に出勤した。のだけれど、いつもよりなんとなく調子が悪くて今日は早く帰りたいという気持ちが大きかった。
11時前くらい、8月〜10月に苦労してなんとか納品したWEBサービスの運用管理者からの電話と、関係部署の上長がすっ飛んでくる。
事態を要約すると「突然サーバが再起動してしまったのだが、ぬるぽの作ったWEBサービスが立ち上がらない、担当のSEはマイカレンダー休暇でぬるぽ以外に関係者がいないので対応せよ」とのこと。

これ聞いた瞬間、ヒャーってなった。
こういう日に限ってトラブルに遭遇しやすいのは何度か経験していたのだけれど、よりによってあの案件、しかもサーバ関連ときたものだ。
しかもこのWEBサービス、自社サービスとして稼働して一週間立たないうちの重障害だった。
こりゃまずい。

この案件アプリ面でリードできていたのだが、サーバ関連は直接業務した経験は少なく、担当SEによる貢献が大きかった(責務が分かれていたので当然ではあるが)。
お休み中のところ申し訳ないけど担当SEにメールしてサポートしてもらうこととなった。

ひとまず保守端末まで急ぎ、状況を確認する。
5台のサーバ群のうち、いくつかのサーバのサービスが動いていない。
そしてなんか暑い(保守端末のコーナーがだいたい南西に位置しており、やたら日当たりが良い。こんなところに端末置くなよ…)。
そばではお偉いさんが稼働すぐにトラブったこのシステムについてなんか言ってる声が聞こえてくる。

で、サービスを立ち上げてみても接続できない。
小一時間経過、運用管理者も一緒に見てて、ファイアウォールじゃね?ってことでファイアウォールを切った。
ちょうど昼休み。
休んでいるどころじゃないだろうと思っていたけど、暑苦しく、なんだか頭が重いためお言葉に甘えて休むことにした。
席を立った瞬間、ひどいめまいがしてまっすぐ歩けなくなった。

充電中

日記 生存確認 201602休養中

1/25から2/3まで都内某所で入院していました。
以下、大まかな流れ

  • 1/22:仕事中にめまい、ふらつきでぶっ倒れそうになる。水ゲロ3回。途中仮眠室で休憩し、なんとか業務をこなす
  • 1/23:まだめまいがして気分すぐれずも、午後に買い物行く
  • 1/24:まだめまいがするも、私用のため実家へ帰る
  • 1/25:まだめまいがするので外来、そのまま入院
  • 1/25~2/3 AM:入院生活
  • 2/3 PM~2/29:退院、自宅療養
  • 3/1:職場復帰予定

この辺の話を何回かに分けて書いてみたいと思う。

夜になると不安になるの

考え事して眠れないので思うがままにflush()する。


最近、自分がだんだんつまんない人間になっているような気がするし、人生の面白さとかなくなってる気がする。

残念ながら自分は口は達者だがまず行動ってのができない。ものぐさなのか無気力なのか。
動きたくないための理論武装をしてる(つもり)のかもしれない。

まだヤンチャできる年なのか(これまでの人生ヤンチャしたことないけど)、そろそろ身を固めないとダメなのかわからない。
失敗が怖いし恥をかきたくないから自ら動けない。情けない。

でも、ここ最近成長したとは思えないことや面白みがないなと感じるのはやっぱり行動に移せていないからなのか?

add_month(sysdate, -120), add_month(sysdate, 120)

日記

今週のお題「10年」』ってのを見ていろいろ思いがあったので書いてみる。

  • 10年前

18歳。今日ぐらいだとたぶん大学受験が終わった直後かな。
高3で急にパソコン勉強したいといい情報学科を目指した時期。
あの頃の自分は流されなかった、よくぞ勇気をもって決断してくれた。
おかげさんでちゃんとIT業界で働いておりますぞ。
ちなみにはてなの日記は入学後一年近くたって、課題のJavaプログラムっぽいものが貼ってある。
あの時全然わからなくて泣きたかったJavaも、今では仕事に欠かせない道具なんだから、時の流れのすさまじさを感じる。

  • 10年後

38歳。何をやっているんだろう。
仕事のことは何もわからない。
でもこれだけは言いたい。

自分の父親のような家族経営をして、かつ父親を超えたい。
子供が大きくなっても夏休みは海や山に家族旅行して、秋冬は毎週のように鍋を囲んで、夕飯後はみんなでカーペットにごろごろして毛布を取り合って、ロックの布教をして一緒のCD聴いて談義して、一緒にライブに連れて行きたい。
なんか色々逸れた気がするけど、それが家族でいられてよかったことなんだよ。

  • 現在

最近、人生設計について深く考えさせられる事柄があった。
今一番したいこと、まだごく一部モヤモヤしてるものがある。
じっくり考えたいけど、出るとこ出ないと10年後なんてすぐだわ。

ドヴァキンよ、決断の時が近い。

この一年で作れるようになったもの

ぬるぽ独立戦争記 日記
  • たけのこご飯
  • ハッシュドビーフ(ルー必須)
  • カレー(ルー必須)
  • 豚汁
  • ぬるぽ家流 たらこスパゲティ
  • ぬるぽ家流 やきめし
  • ぬるぽ家流 うどんつゆ
  • ぬるぽ家流 鶏とトマトのシチュー
  • 明太子スパゲティ(醤油明太子酒を混ぜたのをバターで和えるやつ)
  • Cook Doであればなんでも

凝り性で時間が掛かっちゃうのがダメだってさ!
でもせっかくなら美味しい物食べんとね!