Javaプログラマ(銀) ぬるぽの刑

HR/HMプログレ好きでJavaプラグラマな人がいろいろ書くのと、日々の業務でぬるぽ地獄に遭ってゲンナリするブログ('A`)

小脳梗塞の記録:入院初日



はじめに

3/1より時短勤務をした後、来週から通常時間帯で本格復帰となりました。
入院したのが1/25夜だから、もう1ヶ月経ってんだなー。

1/25(月) 夕方 救急処置室

検査着に着替えてベッドに寝るとすぐさま心拍、脈拍計測用の器具と点滴用の管を複数の看護師が取り付け、個人情報についてその場で問答と相乗についてのヒアリングが行われた。
その後主治医の先生がみえて、症状の具体的な確認を行った。

 左足のすね部分に右足の踵をこすりつける動作(左も同様)。
 腕を伸ばした状態から左右の人差し指で鼻の頭を交互に触る動作。
 などなど。

これらは梗塞によるダメージがどの程度運動面に影響出ているかを見るものらしい。
僕の場合は小脳なのでこういった平衡感覚に関するテストをしたようだ。
先生「CTを見ると深刻に見えるが思ったほど症状は出ていないので、安静にしていればすぐ良くなりますよ」とのこと。

依然ふらつきやめまいがするが、その言葉を聞けて安心した。

そのベッドのまま、入院する病棟まで運ばれた。
しばらくして親が入院セットを持ってきてくれ、彼女も来てくれた。
見た目は健常で、先生に言われたことをそのまま伝えたら安心してくれた。
朝家を出てからずっと一人だったので、こちらも気持ちが落ち着いた。

その日は夕飯は無しで寝るだけだったのだが、どうも寝付きが良くない。
まだ天井が揺らめいているし、体の半分だけがベッドに沈んでいるような感覚に襲われるし、寝返りも今のところは危険というのでなるべく体を倒さないよう仰向け状態を維持しなければならなかった。

消灯時間は21時。
2時3時の就寝が常態化していたのと、病院で寝るのは初めてだったため、なかなか寝られない。
あんまりにも寝られないので上司にメールを送った。
キーボードはまだ位置がずれてうまく打てないながらも、一通数十分かけて計3通を送った。
脳梗塞で入院することになったことと、今仕掛中だった仕事がどのくらいあるかってことと、治して必ず復帰すること。


メールを送り終えて一息入れたところで怖くて泣いた。
安静にしていれば治るかもしないけど、悪化した場合は復帰どころじゃなくなるかもしれない。
明日の朝起きたら、今日よりもっと体が動かなくなるかもしれない。
そんなことばかり考えてしまう。

そのまま寝てしまったらしく、後のことはよく覚えていない。

小脳梗塞の記録:入院中のこと (1)



1/26 (火)

朝起きたらちゃんと体が動いた。それだけで嬉しかった。

この日は終日ボーッとしていたような気がする。
朝食が出てきて、食欲はないながらも、果物以外一通り食す。
初めて食べる病院食だったが、そんなまずくないじゃん!いけるやん!
一回ちゃんと食べたからか、昼食、夕食はぺろりと食べた。
食欲が戻ってきた。

この日、キーボードはポジションが狂ってしまってまともに打てないながらもディスプレイを見る分にはなんの問題もないことがわかったため、カバンに入っていたFireタブレットで読書をした。
読みかけだった吉川英治三国志
横山光輝のマンガは読んでいたものの、その原作本である。
マンガでは省かれたエピソードや人物が多数いるものの、メインキャラクターは名前を見れば横山キャラの顔が浮かんでくる。楽しい。

1/27 (水)

主治医の上司が見に来た。
この病棟では僕の存在はかなり異質である。
全く無いわけではないが、20代で脳卒中(脳梗塞脳出血の総称)を起こす人は少ないからだ。
自分の周りはみなおじいちゃんおばあちゃん。
その中にぽつり孫がいるような感じ。
だから反応としては「若いのにどうしたのかね」と「症状そんな軽いの?そんな治りが速いの?若いね〜」という2通りが返ってくる。
上司の方は結局退院まで後者の感想しか言わなかったw

この日からリハビリが始まった。
運動療法士と作業療法士の二人の先生がついた。
リハビリは20-30分で終わるが、運動、作業の2科目性といったところでやる内容が違う。
前者は基本行動のリハビリで、各部位のストレッチやバランスをとるための運動や歩行訓練を行う。
後者は指先の細かな行動のリハビリで、僕の場合は職場でPCを使い、家で炊事をするため、タイピングとりんごの皮むきをで訓練した。

ここ2日ろくにベッドから起き上がらなかったので起きた時は新鮮みがあった。
とは言えど点滴を打ちながらのため、点滴を釣ったキャスター付きである。
この時点では字を書くのはだいぶ回復していたが、椅子に長時間座っていると揺れてしまって気持ち悪くなるし、まだまっすぐ歩くことはできなかった。
でも確実に日々症状が軽くなってきているのを感じる。

夜は、日曜に会った彼女のお母さんに心配かけた旨電話を入れた。

この日くらいからだいぶ落ち着いて眠れるようになったと思う。

小脳梗塞の記録:入院中のこと (2)




1/28 (木)

この日も点滴。リハビリ。
ちなみにお風呂に入れないため、代わりに蒸しタオル3枚を渡されて体を拭いて汚れを落とす。
でも渡されてすぐに体を拭くのは危険。むちゃくちゃ熱い。
数分ほどさましてゆっくり拭く。

夜に仕事帰りの彼女が見舞いに来た。
2週間前にJ:COM解約してその後のプロバイダを決めていなかったため、その打ち合わせを兼ねて。
よさ気な代理店を昼間に探しておいたのでそれの説明と受付を目の前で行った。

あと、通っていた整体にしばらく行けなくなった旨を連絡した。
いつもお願いしていた先生はやや焦ったような声。
首は怖いから出来ないけれど、下半身を中心とした施術なら続けたいとも話した。

1/29 (金)


朝からMRIを撮り昼ごろにMRIの結果を見ながら主治医から詳しい病状を伺った。
病名は「右小脳梗塞」「右椎骨動脈解離」

前者は後者の症状によって発生した症状になる。
椎骨動脈解離については下記サイトが詳しいので説明を省略する。
www.saiseikai.or.jp


ここで「発生後11日間内は出血のリスクあり」「狭窄が発生した箇所は脳内ではないため、くも膜下出血へ悪化することは考えられない」とのことだった。
この時点で発症後1周間。
紹介元で撮ったMRIと比較して脳梗塞が進展していないことと、血管の状態も維持されていることから峠は越えたそう。
あとは安静にしつつ社会復帰に向けてリハビリをこなせば翌週退院できる状態だった。
誕生日が近かったのでもしかして誕生日はおうちでできるかもと思い、気持ちが落ち着いた。


この日病室変更が行われ、ナースステーションから遠い部屋にお引越しした。
重篤・緊急な患者ほどナースステーションの目の前に配置される。
土日に運ばれてくる患者の受け入れ体制はこうやって作られるらしい。

1/30 (土)

入院中の初めての土日。
この日点滴が抜け、院内歩行許可が出た。
1Fのコンビニへもいけるようになった。

母方のおじと祖父母がお見舞いに来てくれた。
なんだか病弱な孫で申し訳なく思った。
お返しは沢山してあげたい。


入院中はたくさん水分を取るようにとの事だったので、とにかく水と麦茶を飲みまくった。
貧乏性なので、500mlペットの中でも550mlや600mlの増量ボトルをよく買った。


そしてとうとうこの日から入力許可も出た。
時間は30分だったが、意外と時間が足りない。
口ひげがすごいことになってたので風呂で剃った。
ジョリ!っていい音した。たまらん。

1/31 (日)

土日は基本リハビリがなく、することがない。
お出かけ鞄の中にはモバイルルーターが入っていたため、それでネットをしまくった。
結果、転送量オーバーとなり200kbpsの速度制限がかかってしまった。
最近のWebページはコンテンツ量がバカでかく、200kbpsでは使いものにならないのですぐプラン変更した。
翌月月初適用のため、しばし我慢。

小脳梗塞の記録:入院中のこと (3)



2/1 (月)

退院の見込みが立ったことから、栄養士の面談があった。 どんなもの食べてるか、何時ぐらいに食べてるかヒアリングされたけど、いつのまにか「毎日カップ麺食べている高血圧の人」みたいな扱いになってた。ショックすぎる…週一あるかないかくらいなんだけど。

で、退院後どんなものを食べたらよいか、味付けをどうするか、など家庭家の授業のようなことを1時間くらい行った。

夜に職場の上司が見えて、見舞いに1冊本をいただいた。 冗談だからと言っていたけど、後日自宅で読んでみると、なかなか面白く一日で読破した。 得るものはあったと思う。 本に影響受けて、朝はコップいっぱいの水を飲むことにした。

退院は節分の2/3とした。

2/2 (火)

まさかの職場の上司の上司がお見舞い。 本部長が来るのはめったに無いことで、緊張してバクンバクン言ってた。 お見舞い待ってる間の血圧は上下ともに普段より20以上うえをさしていた。

退院してしばらく主夫するという話をして、20分ほどで終了。

次の日はいよいよ退院。 身の回りの整理をしつつ就寝。

2/3 (水)

退院当日。 9時過ぎには実家に持って帰ってもらうもの、自宅へ持ち帰るものをすべて分けて迎えの親を待った。 11時前には病院を出た。 あれだけしんどい思いして入院してきた道を、元気な足取りでまっすぐ歩いて帰る。 生きている実感があった。

昼すぎ、さっそく減塩料理を作るべくスーパーに行き、夕方頼んでおいた血圧計と体重計と朝食用玄米フレークが届く。

親に「まともに生活できないだろうから実家へ戻ってこい」と言われたけど、断固拒否した。 何かあった際に病院へ行くのが遅くなってしまうのが第一の理由だけど、本音は違う。 いつまでも甘えていたくない、今までできなかった家事は実家を出てどんどん出られるようになったから、もっとできるようになりたい。そんな気分から。

そしてここから2/29(月)までの1ヶ月専業主夫生活が始まったのだった。